トオクカラ

when in doubt, be brilliant.




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嬲り殺し///20100627 / 17:00 / - /

前は自分はもっと芯のある人間だったと思う。


自分で気付くってことは
他の人も気付くのか。

結局帰ってくるところは
毎回毎回一緒で、
本当に小さい頃から
よくもこんなに
人の期限ばかり見ながら育ったなぁと思う。

ここまで来て
自分を後悔しても仕方ないし、
そういう気持はないけど
改善したいと思うところは沢山ある。

一日一日年を取るごとに
自分そして周りが存在する
空間は広がるばかりで、
昔はまだ自分が耐えられたと言うか、
柔軟性があってもっと頭が働いたような
錯覚に陥る。

けど、それが
錯覚であるっていうのも
自分の思い込みかもしれなくて、
本当は自分を磨き忘れて
どんどん腐って行ってるのかもしれない。

まだこういう考えができるから
芯まで腐ってはないかなと思った瞬間
奢りと自負が
物凄い腐臭を放ちながら
目の前に立ちはだかるようで、
イライラする。


多分、
こんなに揺らぐのは
最近前に進んでないから。

ガンガン未知を斬り拓いてる時は
自分を疑ってる時間も余裕もないから
突き進むのみだけど、
ガス欠でくすぶってると
疑いが追いついて来て
止まれば止まる程
まとわりついて
嬲り殺しにされそう。

頑張ってるよ、って他人に云われて
そうかな、なんて思ってるレベルじゃぁ
全然頑張ってないのは
自分の中でもよくわかってるのに、
現状を正当化するのに
人の云う事にしがみついてる。

レネー=マリア=リルケが云うように、
芸術は孤独という環境のなかで
個の内から生まれるものであるはず、
自分のなかで磨きぬいて
誇れるものを作れば、
それは絶対素晴らしいものであって
どんな批評もそれに触れる事は出来ない。

そのくらい自分を掘り下げて
なにか作り出したいけど、
同時に掘り下げたときに
今自分のやってることが
本当にやりたいことではない可能性が
恐ろしい。

リルケはそれならそれで良いから、というけど
どこまで掘ったら本心は見えるんだろうか?
この疑い自体が自分誤りを物語っているのだろうか?
それともこの恐怖が夢を失いたくないことへの固執を
物語っているのだろうか。

訳わかんね。




しきりに高校時代のことを話す人に向かって
そんなことは昔の話だよいつまでやってんだよって
唾を吐いたのは自分だけど、
本当に高校時代は良かったね。

あの頃みたいにまた近しい友達が欲しい。
もう、自分はそういう有難い友情には
値しないのかもしれないけどさ。




兎に角、
悪い事はするものじゃないし、
云うものじゃないと思う。

佳子は、
宇宙の大きな鏡を信じてて、
私も疑ったことはないけど
最近顕著に
その存在を感じるようになった。

宇宙にある大きな鏡には
ひとの行いのひとつひとつが移って、
そしてその人へ跳ね返って行く。

良い事をしたら
良い事が跳ね返ってくるし、
悪い事したら
悪い事が跳ね返ってくる。




お腹のあたりで
誰かが気持を肩結びにして置いて行ったみたいに
気持が落ち着かなくてそわそわしてる。

そろそろ停滞もいい加減にして
前に進まなきゃ行けないって
事だよね。
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この前ちょうど新聞で読んだけど、
色んな意味で自分は結局孤独で一人なんだって悟るまでにはゆうに50年かかるっていう風な事が書いてあってなんか納得して泣いてしまった。

自分が人間で有る限りどっかに甘えたな心があってつい誰かの甘い言葉にすがりたくなっちゃうんだよねー、

過去にすがるのも捕らわれるのも
それに似た感情なんだろうな、なんて私は思うけど。

過去を振り返るのは大切だけど、ホントに過ぎたるはなんとやらだなってこの前思ったよ、

私から見たらちゃりはホント沢山の人の愛情に包まれてると思う、

それでは体に気をつけて。
ゆき | 2010/06/28 10:36 AM





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